コロナ禍 浮き彫りになった教育課題

最近やっと日常生活が戻ってきたと感じる今日この頃ですね。コロナによってこの約2年、本当に色々なところに良くない影響を及ぼしたと思います。

 

それは、学校自体も、学校にお子さんを送り出しているご家庭も例外ではありません。学校自体も悩まされていますし、悩まされている保護者の方もたくさん見てきました。

 

今回の記事では、私が経験したコロナ禍が学校に与えた影響を書きます。

 

結論から言うと、今回のコロナは、今の教育現場に問題がたくさんあるということを、浮き彫りにしたということです。今、変えないと大変なことが起こるものもたくさんあります。

 

学校課題に関する記事と、保護者の苦悩と現実に関する記事との2つに分けて、私の考えを伝えさせてもらった上で、現場で働く先生にとっても、保護者の方にとっても、コロナによって見えてきているさらなる理想的な学校のカタチについて書きたいと思います。

コロナ禍におけるさまざまな制限

 

コロナによって全国の学校で休校や行事の中止、延期等いろいろな教育活動に影響が出たことは既知の通りと思います。

 

まず、コロナが学校に与えた影響は単純に業務が増えたことです。

 

他の業界も全て共通かと思いますが、朝と放火後の学校消毒、手洗いうがいの徹底、できる限り透明フィルムで仕切りを作るなど、感染対策に割かれる時間が増えました。

 

また、私が勤務していた学校では、子どもたちの席替えは全て放課後に教師の手で動かしていたり、体育の準備や片付けも全て教師の手で行うようになったり、感染症による登校不安の家庭には学習計画を用意したりするなど、今まで無かった業務が湯水のように…。

 

一番つらかったのが年間計画をそのまま実行できなくなったことです。私の住む自治体でも休校期間が設けられ、年間カリキュラムの変更を余儀なくされました。

 

臨休中に、学校再開の目処を計算し、一年間のカリキュラムを何とか終わらせられるよう計画を立てました。臨休中ということもあり、そこはいろいろな準備をする期間にすることもできました。

 

問題は、感染対策によってできることできないことの判断をするまでに大変な時間が割かれました。

例えば、国語の話す聞く単元では、必ずと言っていいほどグループやペアで話合い活動が設けられます。しかし令和2年度は児童同士近距離で対面するような活動は避けるよう指示が出ていたので、そもそもこういった活動ができませんでした。

 

全体交流の中で発表者のみ距離を空けて発言させるようにしたり、書いたノートをICTで全体に見せることで発表の代わりとするなど、学校で絶対に感染者を出さないようにするためにどうすればよいのかを常に考えたり、学年や担任外に相談したりしていました。

 

現職の方であれば皆そうだと思いますが、初めての緊急事態宣言の時は本当に困りました。

 

余談ですが、私たちがそのような状況下に置かれているにも関わらず、「アクリル板じゃまくせ~な。」と言ってどけてマスクをせずに授業をしている方が別校種でいると風の噂で聞いた時には、怒りと呆れの感情で非常に残念な気持ちになったことを覚えています。こっちは給食時間中も一切喋らず、子どもとのコミュニケーションをあの手この手でどうしようか考えていたというのに!ちなみにその学校はクラスター発生により学校閉鎖になっていましたがね…。

こういった話しはまた今度…。

 

浮き彫りになった学校課題

様々な制限が全国の学校を襲っていた状況もあり、学校現場で置き去りにされていた深刻な問題が浮き彫りになりました。まず思い付く限り箇条で示すだけでもこれだけあります。

 

・ICT化の急務 家にいる子どもがオンライン等で学習が保障できる体制の整備。

・逆に子どもが顔を合わせ、その場で対面する・空間を共にすることの意義の再定義

・新学習指導要領における学校に求められる今の子どもに本当に必要な学びの再定義

・ネットモラルの環境整備の急務

・スポーツや呼気が入り乱れる活動への対応等。

・運動会等児童生徒や保護者が一同に集まる行事の開催や運営方法の是非

 

まだまだあります。もう解決策を見出したものもあるかもしれませんが、少なくとも令和2年度の時点では全ての教職員の方はこの困難に直面していたと思いますし、まだ解決していないものもたくさんあるかと思います。

 

例えば感染再拡大となった場合には、またしても行事は中止延期を余儀なくされるでしょうし、習い事や部活動などに関する練習や大会も、あらためて懸念が示されていくことでしょう。

 

上記のようなことについて未だ、答えと言えるものは示されておらず、現職の先生方は本当に悩みながら業務に取り組まれている現状は続いています。

 

 

コロナが教えてくれた新しい学校のカタチ

まず、学びという点に限れば、教職員の方々が一番に考えたことは、「学校という場所でなければできないこととは?」ということだと思います。

 

現在は、デジタル化が進み、家庭にあってもタブレットを活用してオンラインで学習を受ける体制が整備されてきて、学校と同じような授業を受けられるようになってきたところかと思います。

 

Zoomのような機能を活用して顔を合わせて学習を受けたり、googleのclassroomのような機能を使って、自分たちで板書を構成したり掲示板として活用したりと…

 

学校で行うことは体育や家庭科などの実習活動だけでよいのでは?!と一瞬疑うほど、よく考えると授業が進んでいっていった経験をされた先生方もいたと思います。塾や予備校のようなサテライト講習とも違い、ともに話し合い、ともに考え、ともにコミュニケーションをとりながら、思考判断表現していく子どもたちの姿も確認できた方もいらっしゃったのではないでしょうか?

 

しかし、私は大きな違和感を覚えました。

 

本当に学校の中でしかできないことはあるのか?

 

答えは、「YES」です。絶対「YES」です。

 

お互いの表情を集団の場で見る、自分や誰かが発言した時の自分を含めた周囲の瞬間的な反応、同じ場を共有しているからこそ伝わる距離感、いわゆる「集団の場での雰囲気を感じ取ること」です。

 

デジタル化により、たくさんの便利なことが一気に身近になり、将来的なスマート社会の中で生きる人間として、その必要性がクローズアップされた昨今

 

しかし、だからこそ人と人が「直接顔を合わせること」、「会うこと」の大切さも顕著に表れたことを感じた教員の方はきっと多いと思います。

 

そういったことを研究主題に実践を深めている学校もちらほらあるようです。

 

あらためて、学校が、決して勉強を教える場所ではなく、社会の中で生きる力を育てていく場所であることを発信し、そのための場所として学校が不易なものを提供し続けている場所であることを証明する必要があることを、コロナ禍という非日常の出来事が教えてくれたと思います。

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