教育界のブラック 始業式前日 奇跡的に起こった悲劇

初ブラック話

日本には、有り得ない学校で、有り得ない管理職から、有り得ない業務を、有り得ないメンツで、有り得ない量、託される方がたくさんいらっしゃいます。

いろんな伝説を持っていると思います。そんなありふれたブラック話の一つ。

つまみにしてくれぃ。

全国小中学校の春休みとは

3月に卒業生を出して余韻に浸る間もなく、3月下旬の修了式の日には、次年度の学年が言い渡されます。おそらくどこの自治体もそんな感じでは。

 

修了式後、春休みに突入すると次の学年への業務が立て続けに襲ってきます。

 

全国の小中学校は、春休みに入った時点で、次に担当する学年の準備に追われているということになります。

 

先生の転任が多い学校だと新しく来る先生の分まで(4月1日にならないと来ないから)少しでも準備を進めなければならなかったり、

児童生徒の転出入が多い学校だと児童把握の量が多く最後まで学級編成が決まらなかったり、

大変な学年をもつことになると学級編成や学級運営の仕方を熟考する時間が必要だったりと、

 

春休み中は少しも休む暇がありませんよ!となりやすい時期でもあります。

 

私の春休み

まだ20代だった頃、私も例に漏れることなく修了式の日に次の学年を言い渡されました。

 

次の学年は初めてもつ学年ということもあり、ものすごくワクワクしていたのを覚えています。採用5年目で、ピチピチさもあり、仕事も覚えてきて、(まだ)やる気に満ち溢れていました。いやマジで。

 

3月下旬、春休みの初日から私は次の学年の準備をもりもり進めていきます。

 

その時、同じ学年の他のクラスの先生方はまだ全員私より年上の先生だったので、一番若い私が一番動き、一番学年に寄与して、一番学年を動かせる存在になろうと思っていました。いやマジで。

 

ここで一つ目のフラグ

学年主任の先生も「頼りにしているねぇ~。やろうと思ったことは何でも好きにやっていいからねぇ~。」(全部の仕事やってくれな~い?)とおっしゃってくれたので、ありがたく阿修羅モードで集中業務に入りました。

うろ覚えで書いていきます。

・学年目標を決め、全クラス分の教室掲示用の紙掲示物を作成

・全お便りや当番表、教科の貼りもの、児童のネームカードや道具箱棚のネーム貼りもの等、掲示物関係を全部作成

・玄関の靴箱トレイを学年分清掃

・玄関の靴箱ネームも学年分作成

・自分のクラスの学級便り、時間割を作る

・自分の担当教科4月分の教材研究

・音楽も言い渡されたので、学年音楽で何をやろうか計画

 

こんなところだったかなぁ…。思い付くことは全部やりました。マジで。

 

ここで二つ目のフラグ

4月に入るか入らないかくらいの境目の時でした。

学年業務にもエンジンがかかってきた頃、校内のある先生に関する不穏な噂が流行ります。

 

「○○先生、春休み初日から休んでいるけど、まだ休んでいるね…。」

「○○先生、始業式間に合うのかなぁ。」

実はご家族が重大な病気を抱えているということで、そのお方、お休みをしておりました。

 

まだその時は、同じ学年の先生方は準備が少し大変だろうなぁ、と思うくらいでした。

 

この後自分にとんでもないことが起こるとも知らずに…。

 

 

始業式前日に起こった悲劇

いよいよフラグ回収の時です。

4月4日 まさに死が訪れる日

 

いきなり校長から呼び出される。あの手招き。今も忘れない。

 

校長室の椅子に座って、校長の第一声。

 

「○○先生のクラス。入ってもらうから。」

 

え?((((;゚Д゚))))

 

「○○先生、戻ってこれなくなったから。担任頼みますっと。」

 

ますっとじゃないんだよ。茶目っ気出す場面じゃねーよ。

 

○○先生のクラスって。学年主任のクラスじゃねーか。てか6年じゃねーか。

 

よくそんな「マヨネーズ取って。」くらいのテンションで言えるな。

 

自「…分かりました。それじゃあ期限付きの先生は自分のクラスに入るということですか?」

 

校「そうそう。そんな感じで行こうかなと思ってるわ。」

 

軽い。全てが軽い。納得がいかない。

 

色々と腑に落ちなかったが、当時の自分は任されたことを背負う術しか知らなかった。

 

とにかく当初予定されていた学年主任の先生に話す。

 

「あ、言われちゃった~?何か□□(自分)くんしかいないよねって校長先生から確認されてたからやっぱりね~。」

 

すぐ言ってくれよ…。まぁ遅かれ早かれってことか…。

 

 

てことでめでたく全フラグ回収ということです。

 

当初の学年の準備は全て自分が全然関係ない学年への貢献へと変わってしまう。周りは軽い感じのご愁傷様感。次年度のスタートは新6年生への担任が変わった説明から…。地獄のスタートとなりそうだぜ。

 

中々の悲劇でしょう?

 

終わりに

私個人としては、何年生受け持ちだろうと、これでで飯食っている以上、断る理由は無いし、全ての子どもが幸せにするために自分たち教員の存在価値があると本気で思っていました。

だから、学年希望に添わないからと言って、文句を言うことはしたくないし、そんな自分を客観的に見たときに子どもはガッカリするだろうなと思った。人を育てる人はその人柄がにじみ出るものだと思っていますので、こんな教員から習いたくねーだろ、と思うことは絶対しませんでした。

もちろんそれは自分自身が決めることであって、他の人(特に人事を決める管理職)が当たり前のように部品扱いするのはどうかと思いますよ。それは違うと思えば拒否する方もいるでしょうし、ましてや4月4日ですからね。キレてもよかったと今でも思いますが、そこは誰かがやらなきゃいけないことですから。担任が変わると伝えられる子どもたちのことを考えると自分はYESしか言えませんでした。

あぁ~どれだけ同じ境遇の人がいるんだろう。気になる。

 

読んでくれてありがとうございました。

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